慶讃テーマについて
宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要基本計画策定委員会において、教区の慶讃法要をお勤めするにあたっての基本方針を策定する中、「慶讃法要テーマについての小委員会」が設置され、教区慶讃テーマが「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう みんなに願いがかけられている」に決定されました。
このテーマは同時に教区基本テーマでもあります。
テーマ趣旨文
大阪教区慶讃テーマについて、真宗門徒であるかどうかに関わらず、また世代を問わず、誰もがわかる言葉であらわしたいという思いのもと話しあいました。その結果、本山の慶讃テーマに、大阪教区独自の「みんなに願いがかけられている」という言葉を加えて、テーマといたしました。
願い
テーマを読んだ人にとってこの「願い」という言葉は、例えば親が子にかける「願い」であるとか、世間がわたしに強いる「願い」など、一般的な解釈をされる場合も多いと思われます。そういう「願い」が重荷になったり、抑圧を生むものとして否定的に働くということも考えられます。しかし、あえてそのように広く理解されることを受け入れたいのです。そしてそれでも、「願い」という誰もが使う言葉を深め、いのちの根底で響きあう、すべての人に通じる「願い」を感じとってもらいたいと思います。テーマを読んだ人が思うさまざまな「願い」が、如来の本願に繋がっていることを表現していくことが、大切な課題となるのではないでしょうか。
すべての人と共に
また最初の呼びかけの言葉を「みんな」といたしました。この言葉を選んだのは、「すべての人と共に」ということを強調したいがためです。情報が洪水のように溢れかえる中、逆に個人が孤独・孤立をますます深めているのが現代社会です。しかしその中で苦悩するすべての人々に、等しくはたらいてくださるものが確かにある。個々の違いをそのまま認めあいながら、それでも共に輝いていけるのだという希望を、「みんな」という言葉に託しました。
わたしの願いって なんだろう?
あの人の願いって なんだろう?
わたしはどんな願いを かけられているのだろう?
願いに気づけて こころふるえる時も
かけられた願いの重さに 悩む日も
わたしが生まれてきたこと
それだけは ほんとうだ
そう わたしは願われて生きている
わたしも あなたも
たいせつなともだちも 見知らぬあの人も
みんなに 願いが かけられている